どうも夏鎖芽羽です(≧∇≦)
今日は久しぶりに地震が起きて少しび びっくりしましたΣ(・□・;)

さて、今回は本の紹介ではなく昨日書いた「最終兵器彼女」でお話しした「セカイ系」についての僕個人の考察をしてみたいと思います。
あと、初めに言っておきますが、僕の世代はセカイ系ムーブメントの後に当たるので、セカイ系直撃世代とは若干考え方や、セカイ系作品に対する認識が異なるかもしれませんが悪しからず…m(_ _)m

まず、セカイ系の定義についてですが、最終兵器彼女の記事で僕は「主人公とヒロインの物語のために他の要素を極限まで減らしたある種閉鎖的な物語」と、いう書き方をしました。
セカイ系についての予備知識がない方はこれが正しいかどうかもわからないと思うので、有名な評論家の意見を載せておきます。

東浩紀さんによる定義
セカイ系とは「「主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと

前島賢さんによる総括
物語を破綻させてまで自意識というテーマを展開させようとした『エヴァンゲリオン』(ことにその後半部)というアニメ作品の影響で「みずからのジャンルの虚構性、チープさを明らかにした上で、なおかつ真摯な物語を語ろうとした」[33]のが一連のセカイ系作品だったのではないかという。

⚠︎上記はWikipediaからの引用、抜粋です

東浩紀さんの方は「僕と君を中心とした小さな関係性の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、世界の危機などに直結する作品」前島賢さんが「エヴァンゲリオンの、ことにその後半の影響を受けた作品」という定義を打ち出しています。
では、具体的にどのような作品がセカイ系と呼ばれているのでしょうか?

東浩紀さんは最終兵器彼女、新海誠さんのアニメ「ほしのこえ」、秋山瑞人さんの「イリヤの空、UFOの夏」の三作品を代表作として挙げられました。
ほしのこえに関する知識は持ち合わせていないので割愛しますが、上記二作品はどちらも「ヒロインの行動、選択が世界の危機やそれに準ずるもの」に関わってきます。さらに、「主人公は戦いには参加せず、ヒロインの力(戦力)になることができない」の二点が共通します。

東浩紀さんは主人公達の危機、行動がそのまま世界の危機にシンクロする、そしてその世界の危機に関わる国家や国際機関、社会の描写がほとんど描写されていない。と、言っています。
僕個人としては、この「世界規模の戦争や危機が一切描写されずに、主人公とヒロインの行動が世界の命運を左右する」というのがセカイ系の最大の特徴だと思います。

では、前島賢さんの定義はどうなのか。
僕個人としては「エヴァンゲリオンの影響」というのは、セカイ系初期作品には見られても時代が進むごとに形が変わって行ったのではないかと思います。

最終兵器彼女、イリヤの空、UFOの夏はどちらも2000年、2001年に発刊されたものです。では、この流れを受け継いだと僕個人が思う作品はどうなのか。

まず僕が個人的にセカイ系だと思う作品は谷川流さんの「涼宮ハルヒの憂鬱」です。

この作品では、ヒロインの涼宮ハルヒは超常現象を起こす存在、前述した世界規模の戦争やそれに準ずるものを起こす存在です。にもかかわらず、本人にその自覚はなく、しかもその超常現象を止める役割を果たすのはヒロインではなく主人公のキョンやサブヒロイン達です。

今までの定義とは大きく違いますね、しかし、これは主人公達を中心としたごく小さな、閉鎖的な世界=学校や周辺の町を舞台とした物語なのです。ヒロインの涼宮ハルヒが超常現象をおこすことは、世界すら変える可能性があるのに、お話自体は世界規模のものではありません。

この作品の発刊は2003年、つまり上記二作品、セカイ系の先行的な作品が発刊されてからまだ1、2年後の作品なのです。
今までは、戦闘少女と平凡な主人公の関係というものが、枠として存在しましたが、それがなくなったことになります。

でも、涼宮ハルヒの憂鬱はセカイ系と評しても問題のないと思える作品です。僕個人としてはですが(苦笑)

次に例にあげるのは、海猫沢めろんさんの「左巻キ式ラストリゾート」という作品です。

この作品はとあるPCゲームのスピンオフとして2004年に刊行された作品(上の画像は星海社から再刊されたもの)ですが、帯に伝説的奇書とあるように、今までのセカイ系作品とはまったく違った雰囲気を持つ作品です。

作品の詳細は割愛しますが、このお話では主人公はヒロイン達に迫る強姦魔の正体を調べるために動きます。ヒロインが世界の危機やそれに準ずるものに立ち向かうという構図は涼宮ハルヒの憂鬱同様になくなっています。さらに舞台は閉鎖された学校です。

この作品ではセカイ系の閉鎖的な世界が閉鎖された学校として描かれます。さらに言えば、その学校が物語の中では世界の全てです。つまり、強姦魔は世界の危機に準ずるものとして扱うことが可能で、セカイ系の作品だと僕個人としては思います。

セカイ系作品は年を追うごとに少しずつ形を変えているのです。

僕個人の総括です。
セカイ系とは、最初に書いた通り「主人公とヒロインの物語のために他の要素を極限まで減らしたある種閉鎖的な物語」だと思います。
初期では無力な主人公と戦闘少女というヒロインを基盤にしながらも、その後は、限られた範囲で起こる世界を変えてしまうような出来事の解決を、主人公やヒロインや脇役が解決していく物語。ということになると思います。ここで重要なのは世界情勢や社会が、極力描かれないことにあると思います。要するに世界がどうなっていようが、主人公とヒロインの関係を描く上では弊害にならないのです。

以上が僕のセカイ系の考察です。次回がいつになるかはわかりませんが、次にセカイ系について取り上げる記事を書く時はセカイ系の行方について書きたいと思います。

僕個人の見解なので、これを読んだ人の中にはこれはおかしいと思う部分もあると思いますが、どうぞ悪しからず(苦笑)
それではこの辺で(≧(エ)≦。)