どうも夏鎖芽羽です(≧∇≦)
明日は体育祭なのに雨っぽいです(._.)
足だけは早いので、輝ける場面が減るのはちょっとがっかりです(苦笑)
さて、今日は最近世間を賑わした神戸の小学生一年生が行方不明、最悪の形で発見、犯人が逮捕されたことを受け、改めてメディア規制について考えてみたいと思います。
前回の記事↓
それに加えて今回は割と中立的な意見のサイトを見つけたのでそちらもあわせてご覧ください↓
今回の事件はまだ犯人が何も供述していないので何も言えませんが、もしマンガやらアニメやらの関連から影響を受けたと少なからず立証されれば、TVや雑誌は再びこの話題を取り上げることでしょう。
しかし、アニメや漫画が悪と決めつけることは何年、何十年単位で実験しない限り不可能でしょう。
例えば、虐待を受けて育った子供が全員自分の子供に虐待するわけではありませんし、虐待が正義かのように描かれるメディアに幼い頃から触れていたとしても、確実に自分の子供に虐待をするとは限らないでしょう。
メディア規制推進派はそれがさも正義かのように謳いますが、アニメや漫画は受け手によってはどんなに残酷で性的な描写が描かれても娯楽でしかないのです。
例えば歴史的にみてもイギリスのクロムウェルは競馬を禁止しましたが、その後市民のクーデタによって独裁を打倒されました。
当時の人々にとって競馬は最大の娯楽、それを禁止されれば黙って見過ごすわけにはいきません。
今の日本の娯楽といえば何か。よく考えてもらいたいです。メディアという枠組みに収まるものが大半を占めるはずです。それなのにそれをよく知らないであろうメディア規制推進派の人々が規制したらどうなるか。
これは大げさな誇張表現でもなんでもなく独裁です。
民主主義的ではありません。
今日本はメディアが溢れています。コンビニにいけば漫画は置いてあるし、電車に乗ればアニメで地域活性化を謳うような中吊り広告もしばしば見かけます。TVCMでもアニメは使用されますし、輸出品でも重要な地位を担っています。
規制、規制というのはとても簡単です。ただ、柵で囲めばいいんですから。でも、人々を癒し、励まし、楽しませ、時には繋げる金の鉱山を立ち入り禁止にするのはいかがなものなのでしょうか。
確かに規制推進派にとってはオタクは気持ち悪いだろうし、規制対象のメディアを子供に触れさせるのはよくないと考えるはずです。
しかし、そういったメディアに触れる大半の人はオタクではない人だし、普通に学校に行って、仕事やアルバイトをして、友達と遊んで、恋に胸を躍らせるごく一般的な人々であることを忘れないでほしいです。
メディア規制に決着がつくのはまだ先の話だと思います。しかし、推進派はTVで軽々しくまるでマイノリティがマジョリティであるかのようにメディア、ひいてはそれを享受する人々を貶したことを反省し、恥ずべきです。
と、今日は少し硬いことを言いました(汗)これを読んだ人には少なからず何かを感じてほしいと思います。
それではこの辺で(≧(エ)≦。)
明日は体育祭だε=ε=ε=ε=ε=ε=┌(; ̄◇ ̄)┘